三日月に歪んだ廿楽の唇。
「私、緩さんを信じていますのよ」
ティーカップを持ち上げながらにこやかに首を傾げる。
「それに大丈夫。たとえどこかの破落戸がくだらない噂を広めたとしても、先生方が真実を護ってくださいますわ。教頭先生なんて、緩さんの受けた行為を私がお話したら、それはそれは頼もしいお返事をくださいましたもの。退学処分にも値する、だなんて言ってくださって」
緩の言い分が覆されそうになれば、廿楽が権力を行使するだろう。場合によっては両親を使って教職員に圧力を掛けるかもしれない。廿楽の口から名前が飛び出した教頭の浜島はそもそも大迫美鶴を毛嫌いしているらしいし、学校関係者が認めない限り、美鶴の謹慎は解けない。
そう、例え緩が撤回を申し出たとて、もはや大迫美鶴の罪が撤回される事はないのだ。二ヶ月に決まった美鶴の謹慎処分が多少短くなるかもしれないという程度。
ならば、廿楽の信頼を失うかもしれないという危険を冒してまで撤回を申し出る必要が、どこにあると言うのか?
「撤回などしません」
「強情だな。そんなに自分を嗤い者にしたいか?」
聡の言葉に、それでも緩は睨み返す。見返すだけで、何も言わない。
「何だ? 声も出ねぇのか? えぇ?」
聡は不機嫌そうに腕を伸ばし
「出るようにしてやろうか?」
緩の喉に掌を当て、瑠駆真が止める間もなく力を入れた。
「なんとか言えよ」
「う… ぐっ」
片手で喉を締め上げられ、緩は思わず呻き声をあげる。だが、聡は構う様子も見せない。
緩の両手が聡の手首を握る。瞳に涙が浮かぶ。
「なにとか言え」
「やめろよ聡」
「なんとか言えって言ってんだよ」
「聡っ」
瑠駆真の手が、強引に聡の腕を引き剥がす。
息苦しさに噎せる緩。紅潮した頬に涙が一筋零れた。それを荒々しく拭き払い、緩はギッと相手を見上げる。
「野蛮人」
「おぉ 野蛮で結構」
手首を握る瑠駆真の腕を振り払い、再び対峙する。
「変態になるよりマシだ」
右手を腰に当て、下卑た笑みを向ける。
「なぁ 変態」
「変態とは何よっ」
「何の事だか言ってやろうか? ココで」
聡はチラリと視線を瑠駆真へ投げる。
「それとも何だ? お前の変態っぷりを、校内に広めてやろうか?」
「相変わらず最低ね」
「そういう約束だ」
聡の言葉に唇を噛む緩。その姿に優越を感じる聡。
「そんな事を言うためにワザワザ私をこんなところに引き摺ってきたワケ?」
始業直前、一年の緩の教室にやってきた聡と瑠駆真。授業の準備をしていた緩の腕を強引に引っ張り、教室の外へ連れ出した。何事かと喚く緩の耳に聡が笑いながら一言。
「黙ってついて来い。でないと、バラすぜ」
その言葉に、どれほど怒りが沸き立ったことか。だが、緩は逆らえない。
「俺は別に、お前を嗤い者にしようなんて思ってるワケではないんだぜ」
ひたすら睥睨してくる義妹にもニヤリと笑い
「お前が約束を果たしてくれればそれで済む事だ」
一方的に条件を押し付けてくる相手に、緩は口を開いて大きく息を吸った。
「バラしたら、大迫美鶴の謹慎は解けませんわよ」
聡の表情から笑みが消える。
「謹慎は解けませんわ。私が絶対に解きません」
「お前っ」
再び掴みかかろうかという勢いの聡。
「ふざけんなよっ」
地を這うような低い声音で相手を威嚇する。
「本当にバラすぞっ」
「やってみなさいよ」
緩が顎をあげる。
「バラしてみればいい。そんな事をしたら大迫美鶴なんて、謹慎処分のまま退学にでも追い込んでやりますわ」
「おまえぇぇぇっ!」
今度こそ、再び聡は腕を緩へ伸ばした。それを寸でのところで瑠駆真が抑える。
「バラすって、何をさ?」
聡と緩。二人同時に瑠駆真へ顔を向ける。瑠駆真は交互に二人を見比べ、もう一度、ゆっくりと口を開く。
「君たちはいったい、何をしているんだ? 聡、この子が撤回するというその根拠は何だ?」
「何でもありませんわっ!」
聡が口を開く前に、緩が勢いよく遮る。目を見開く瑠駆真。そんな、黒く円らな視線から逃れるように、緩は下を向いた。
「何でもありません」
「何でもないことねぇだろ」
粘つくような声で、聡が再び笑う。そうして、緩の顔を覗き込むように、少し腰を屈める。
「お前、今、バラしてみろって言ったよな? 言ったよなぁ?」
念を押すようにゆっくりと問い掛ける。
「バラしてもいいんだよなぁ?」
いいワケがない。
ハッタリだった。虚勢だった。単なる賭けに過ぎなかった。
バラされたくはないが、撤回もできない。そんな状況に追い込まれた緩の、苦し紛れの策だった。
バラしても聡には何の得もない。
そう思わせる事で、聡を思い留まらせようとしたに過ぎない。だが―――
「なら、バラしても構わないよな?」
いいワケがないっ!
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